2015年05月22日

辻惟雄氏が書いた

「人は遊びの中で完全に人である」
ゲーテと同時代の思想家フリードリッヒ・シラーが語ったもの。
意味するところは、「(学習や勤勉という世界に身を置いている間は、偽りの自分であるが、)
遊びの世界にいる間、桎梏(しっこく)から解放されて完全な人となる」。
すなわち、人というのは、遊びで出来ている。
ホイジンガが言うところの『ホモ・ルーデンス(遊び人間)』なのだ。
私自身、思い当たるフシでいえば、「勉学」や「学び」には、決まって消極的になるが、
こと、スポーツや遊びというものになると夢中になる。
最近、世の中全体が閉塞感を持ってしまっているところがある。
今日、BBC の放送を聴いていると、
日本の失業率のアップ、原子力発電所のこと、国債の格付けの低下などが挙げられていた。
そんなことを聴くと、いよいよ日本は、あぶないのかと思ったりする。
それは、まさに「遊び」が足りないのである。
こんな危機の時に「遊び?」と、顰蹙(ひんしゅく)を買いそうな雰囲気がある。
だけど、遊びこそ、すべての原動力。
日本人の「勤勉」なることを良く取り上げられ、我々自身もそのように考えている。
そして、この危機を更なる勤勉さで乗り越えることを要求されているところがある。
辻惟雄氏が書いた「日本美術の歴史」に
日本の特色は、「アニミズム」と「かざり」と「あそび」の三つだと語っていた。
決して勤勉ではない。
よく見ると、我々が世界に出て行った原動力となるものは「遊び心」だった。
そういった「遊び心」を随所に見いだすことができる。
たとえば、世界の三大ゲームの内の二つを日本から世に出している。
アニミズムに通じる「アニメ」も、そして装飾も。
そう考えると、日本人の日本人たる姿は、やはり『ホモ・ルーデンス(遊び人間)』だ。
この危機を乗り越えるためには、もっと熱狂する「遊び心」を持つことだ。


同じカテゴリー(yl)の記事
 この世界は美しい~ (2015-05-20 11:04)
 にしていた彼は (2015-05-18 16:05)
 このままでは (2015-05-14 12:02)
 電話を切る時に彼女は (2015-05-12 12:22)
 どうなったのか (2015-05-11 12:13)
 たくさんのアロハを (2015-05-07 15:56)

Posted by amizhu at 10:41│Comments(0)yl
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。